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横浜市栄区の中心点
中心点名 横浜市栄区の中心点
行政番号 14115
登録日 2019/08/03 認定者 PC-ITVクルー
認定座標 35°21’42.1″N 139°33’21.9″E
認定場所 皇女神社
住所 9H64+JC 横浜市、神奈川県
http://jinjajin.jp/modules/newdb/detail.php?id=8975
詳細情報
柏尾川の支流いたち川を上り、少し高台にある皇女神社を栄区の中心点して認定。周辺には防空壕や遺跡がありパワースポットである。
「皇女神社の由来について
位置 横浜市栄区 公田町1530番地 社地面積84坪
祭神 照玉姫
縁起 照玉姫は葛原親王の皇妃で、往昔親王に従って東国に下ったが天長元年9月28日(西紀824年)当地で死せられた。里人達は嘆き悲しみ、懇ろに葬り塚を造営した。此の塚を皇の御前塚又は、女ロウ塚と呼んで、永く姫の遺徳を慕っていた。
文禄元年2月信永と云う僧侶が当地を訪れた際、姫の遺徳を知り、社を建立してその霊を勧譜したもので、又当時姫の侍女であった相模の局、大和の局の2人が姫の死後尼となり塚守となっていたが、あいついで両名とも死去した。里人は、これを姫の塚の傍に葬り両塚明神として崇めたと伝えられるが、現在両塚の所在はあきらかではない。(以上皇国地誌による)
これは、今をさかのぼること400年前の事である。以来、私達の祖先は毎年10月1日を例祭日と定めささやか乍らお祭りを奉納していたが、明治42年7月に至り桂村公田村地内の小社4社が神明社に合配され、皇女神社の地も神明社の所有となったが、当地の人々は尚姫への遺徳偲びがたく、大正2年原家(当時吉五郎)の屋敷続きの山林の一角を借用仮社殿を造営して神明社より神体を分祠し、毎月1日、15日には必ず参拝し、又家々の喜びも悲しみも総てを神前に報国したものである。昭和5年7月に至り氏子12名が相寄り資金を放出して、金80円也で神明社現社地を買い戻し、昭和12年9月お社を現在地に遷したもので其の間氏子は勿論、近隣からも信仰厚く、日清日露戦争近くは太平洋戦争の際は、多くの人々が願掛の為参拝したという。